歌は心のストレッチ(34)《コンサートホール》

敗戦からようやく復興に向かい始めた昭和20年代終期、従来のSPレコードに替わって、LPやEPレコードが発売されました。しかし、LPレコードは当時でも2,000円前後の値段でしたし、さらにLP・EPレコード用の音響機器までそろえる必要があり、庶民には高嶺の花でした。そこで、公民館などの公共施設でレコードコンサートが盛んに開催され、私も友人に誘われてせっせと通いました。 ちょうどそのころ「カーネギーホ

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歌は心のストレッチ(33)《ブラスバンド》

私は真珠湾攻撃の翌年に小学校に入学し、4年生の夏に終戦を迎えるまで軍国教育をしっかりと受けさせられました。当時、修身という教科があって「陸軍の小口小平というラッパ手が死んでもラッパを口から離さなかった。これぞ軍人の鑑である」というくだりがあり、ラッパ(金管楽器)というものはいいものだなと憧れを持ちましたが、身の回りにも学校にもそんなものはなく、それを手にすることなく今日に至っています。 そのためか

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歌は心のストレッチ(32)《文楽》

去る1月9日、友人に誘われて大阪の国立文楽劇場で約10年ぶりに文楽を鑑賞しました。人間国宝である八代豊竹嶋太夫の引退披露公演とあって大変な賑わいでした。浄瑠璃語りの大夫、三味線弾き、そして人形つかいの三者が一体となって演じる文楽は、観る人を幽玄の境地に引きずり込んでくれます。 八代豊竹嶋太夫さんは「関取千両幟」に出演しましたが、83歳とは思えぬ朗々とした声で、老いを感じ始めたわが身に喝を入れられた

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歌は心のストレッチ(31)《第九とウインナワルツ》

年末にベートーベンの交響曲第九番を、年初めにウインナワルツを演奏する風習がすっかり定着し、城陽市でも関西フィルハーモニー管弦楽団による演奏会がすっかりおなじみになりました。 昨年12月20日に「第8回城陽第九フェステバル」が文化パルク城陽で開催され、前述の関西フィルと城陽第九フェステバル合唱団とが共演し、われらが世話役代表の山本 進さんが、見事な声(テノール)を披露されました。大晦日にNHKが紅白

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歌は心のストレッチ(30)《三拍子と四拍子》

ラジオの音楽番組で、ある音楽評論家が「三拍子はヨーロッパのリズム、四拍子はアメリカのリズム」と言い、陸上競技の三段跳びはヨーロッパで生まれたから三段になり、アメリカで生まれていたら四段跳びになって居ただろうとも言っていました。確かにダンスでも三拍子のワルツはヨーロッパのスタンダードだし、四拍子のブルースやジャズなどはアメリカのスタンダードになって居ます。 それでは日本の古来からのリズムは何拍子だろ

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歌は心のストレッチ(29)《国歌》

去る10月18日、宇治市文化センターで「ミュージックフェステバル」が開催され、我等が会の世話役&トレーナのT.Yさんがコーラスに出演され、見事なハーモニーを披露されました。たまたま、宇治市と友好関係にあるカナダのカムルーブス市から公式訪問団が来ておられ、T.Yさんを含む出演者有志の方々が歓迎の意を込めてカナダ国歌を合唱しました。客席の我々にも起立と唱和が求められたので、私も声を張り上げて唱和しまし

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歌は心のストレッチ(28)《タンゴ》

敗戦後の混乱からようやく立ち直り、高度経済成長へと進み始めた昭和30年代初頭、各地で「歌声喫茶」がオープンしたことを前回紹介しましたが、そのころ社交ダンスも同様に流行っておりました。会社の同僚に誘われたとき「俺のようなずんぐりむっくりの短足には似合わないよ!」と言って躊躇したのですが、「社会人の嗜みとして今後必要になるよ」とかなんとか言われて、四条河原町高島屋の南にあった教習所に通いました。しかし

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歌は心のストレッチ(27)《ロシア民謡》

敗戦後の混乱からようやく立ち直り、高度経済成長へと進み始めた昭和30年代初頭、各地で「歌声喫茶」がオープンし、若者たちが声を張り上げていました。 当時カラオケはなく、ギターやアコーデオンの伴奏が主流でした。 京都にも四条河原町近くに「炎」という歌声喫茶があって、若者で賑わっていました。ここでよく歌われたのが「ロシア民謡」で、当時デビューしたダークダックスが歌っていた「トロイカ」「カチューシャ」「モ

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歌は心のストレッチ(26)《オペラ》

本年の1月3日にNHKがニューイヤーオペラコンサートを中継しました。日本を代表する一流の歌手約20人が出演されましたが、その中にソプラノ歌手の田村麻子さんが居りました。田村麻子さんは幼少時寺田宮ノ谷に住んでいて、深谷小学校および東城陽中学校で学んでおり、私の3女と同級であったことから、可愛い姿を憶えております。中学を卒業した頃、父親の転勤で東京に転居し、東京芸大を卒業後アメリカに留学し、現在は欧米

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歌は心のストレッチ(24) 《エノケン》

戦後の暗い世相の中で、庶民に笑いを提供してくれたのが浅草で活躍していたエノケン(榎本健一)、ロッパ(古川緑波)、シミキン(清水金一)達コメディアンでした。私はシミキンのファンでしたが、当時テレビなどなく、映画でしか彼らの姿を見ることができず、先生に隠れてよく見に行ったものです。シミキンが堺俊二(正章の父)と組んで主演した映画「浅草の坊ちゃん」の主題歌「浅草の唄」(サトーハチロー、万城目正、藤山一郎

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