岐阜県瑞浪市釜戸町という自然に恵まれた町に住む純朴で明るい彼・Oさんとの 素敵な縁を話しましょう。
彼・Oさんが住む瑞浪市(みずなみし)は岐阜県の南東部に位置し、美濃源氏土岐一族発祥の地として知られており、中山道の宿場や一里塚など歴史ある街並みが残る地域。 区内には博物館や美術館などの文化施設が多いのが特徴です。
彼・Oさんが住む釜戸町とは平安時代(西暦1200年頃)この洞の巨岩が、ご飯を焚く「竈」に似ていることから、誰云うとなく「かまど」と呼ばれるようになった。観光スポットは 瑞浪市化石博物館.岐阜県先端科学技術体験センター「サイエンスワールド」.吟の森(竜吟の滝).フェスティカサーキット瑞浪.中山道ミュージアム.美濃歌舞伎博物館「相生座」が有名です。
瑞浪市に限らず、岐阜県各地で地歌舞伎が地域の伝統文化として今も脈々として引継かれている。毎年9月から11月末にかけて地芝居・伝統芸能フェスティバルと称して岐阜清流座をはじめ、県内各地の芝居小屋や舞台で40以上の公演が開催される。
そうした土地柄をこよなく愛した彼は、郵便局に勤めながら稲作と、野菜作りにも精を出していた。 Oさんは郵便局局長を長年務めた後、日吉ハイランドゴルフ場の社長であり、美濃歌舞伎保存会の 会長から美濃歌舞伎の保存伝承を手伝って欲しいとの懇請を受けて、美濃歌舞伎保存伝承に関わると共に中山道ミュージアムの業務責任者として迎えられた。このことにより郵便局退職後も地域とのかかわりを大切にし、自らの日々を一層際立たせた活動に没頭されるようになった。
退職後、晴耕雨読を地で行くように従前どおり農にも励み、一方、美濃歌舞伎の伝承者たるを身をもって行うべく、素人の身を顧みず、地歌舞伎の役者になろうと決意し、美濃歌舞伎保存会の若い人たちに交じり歌舞伎役者として研鑽に励まれ、とうとう、郵便局退職後5年目にして美濃歌舞伎相生座の初舞台を踏むことができたそうだ。
本年の公演で「稚児揃曽我敷皮.由比ガ浜の場」で役柄渋、曽我兄弟が処刑される寸前に駆けつけて、曽我兄弟の無罪放免の御教書を読むくだりで、まさに、いぶし銀的な役柄を堂々と演じるまでに精進された。出演する役者すべてが地元の人たちで幼・少・壮・老と年齢は問わず保存会の講習会で役者としての研鑽に励み舞台を踏むのである。このように芸が伝承される。
私は伝承されてきた地歌舞伎の舞台、観客の雰囲気を鑑賞するのが好きで、彼/Oさんから10数年前に誘いを受けて以来、秋に催されるこの美濃歌舞伎の鑑賞と 年々上達されるOさんの演じる役者ぶりの上達を見んがために、往復400㎞をいとわず楽しみ一杯に駆けつけるのである。
城陽市と瑞浪市、200㌔も遠隔の地に住む彼・Oさんとの交友はどうして?と、訝ることでしょう。彼・Oさんは8歳年下であるが、生き方というか日々の過ごし方や思い挑戦する実行力が素晴らしいとの思いもあり交友が続いてきた。特に彼が郵便局の仕事に精を出すとともに、在職中から地域のかかわりを大切にし、在職中からベートーヴェン第九に挑戦するなど「職、家庭、地域」のバランスよく「自分、妻、家庭」においても手を抜くことなく挑戦され、意欲的な日々を過ごされてきたバイタリティの塊のような彼の行動に私も感じるところがあった。
その彼との縁はやはり第九の取り持つ縁だ。10数年前“日本・スイス国交樹立150周年記念”事業「スイスのヴィクトリアホールで第九を歌おう!」との呼びかけに岐阜県から一人参加した彼・Oさんと偶然同部屋となり、10日間のスイス・フランの旅で意気投合、ビクトリアHでの第九の舞台に共にたち、旅を楽しんだのである。以後、10数年変わらぬ友情を深め美濃歌舞伎鑑賞、瑞浪観光を楽しみ彼も城陽第九フェスティバルに来館する等交友が続き、私の人生の幅を増幅してくれている。共に、元気で人生100年時代と延びた寿命を活き活きと生ききるために「歳なんで・・・」との言葉を禁句に一日一日を楽しく充実させようと話している。