彼・Oさんは郵便局の要職を定年退職…、そこからが彼の真骨頂! 

岐阜県瑞浪市釜戸町という自然に恵まれた町に住む純朴で明るい彼・Oさんとの 素敵な縁を話しましょう。 彼・Oさんが住む瑞浪市(みずなみし)は岐阜県の南東部に位置し、美濃源氏土岐一族発祥の地として知られており、中山道の宿場や一里塚など歴史ある街並みが残る地域。 区内には博物館や美術館などの文化施設が多いのが特徴です。 彼・Oさんが住む釜戸町とは平安時代(西暦1200年頃)この洞の巨岩が、ご飯を焚く「竈

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今年も城陽第九フェスティバル参加・・・

今までの人生経験や蓄えた知識だけでは、なし得ない何かに挑戦しようと考えて、音符も読めない私が無謀にも挑戦したのがベートーヴェン第九でした。 ドイツ語の発音、発声に苦労し、暗譜にもなお苦労したのが今から30年前、54歳の時でした。 オーケストラ、ソリストと共に旧フェスティバルホールに立った感動は、今まで経験したことのない喜びだった。その年から、場所や指揮者、ソリストは違えども、海外・国内を問わず誘わ

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食住の環境変化、台所には人生が詰まっている…

過日、NHKあさイチ“妻からバトンタッチされた60代男性の台所”が放映されていた。 小学校の教職にあった63歳の男性が、妻の脳梗塞、左半身不随という不幸に見舞われて、妻に代わって苦闘しながらもポジティブに家事全般を担い、退職後の人生において主夫を担うことになった実際を事細かく放映していた。 一昔前・・・日本の男性高齢者が家事を担っている割合は他国と比べて目立って低く、ほとんどの 家事は妻をはじめと

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酒は弱かった!

結婚するまでは母親が…、結婚してからは妻が…「なんでこんな状態になるまで飲むん!」と夜遅く酩酊というより泥酔して帰宅、おまけに悪酔いをしている私を嘆き、詰(なじ)りながらも横たわる私を介抱してくれていた。 今から65年程前(昭和34年:1959年) 職場の先輩・後輩・同輩がうち揃って一升瓶片手に円山公園での花見酒、ある時は50畳ぐらいの広間に座しての大宴会…、誰歌うとなく「江州音頭」「花笠音頭」手

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藁(ワラ)にもすがる気持ちで・・・「神さま、おねがいします」

勝手なときの神頼み・・・。 人は平穏無事に過ごしているある日、困ったときや、ちょっと思うに困難に立ち至った時に、日頃の無信心も忘れて、神棚や神社仏閣へお参りして手を合わせる。まさに、私は勝手な時の神頼み派で、母親は私の高校進学時や就職試験の結果待ちの時に、合格を願って東丸神社(伏見稲荷大社境内内)にお参りしてくれていた。 その両親の影響は知らず知らずに、東丸神社、立木観音、石切り神社、薬師寺が私の

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バブロンの風邪薬の効能は?

「お父さん、バス酔いの薬、効かなかったょ!」『そうか、酔うたか?』 今から15.6年前の息子との会話である。 少子高齢化が進む今と違い、昭和48(1973年)年頃は学校では教室が足らずプレハブ教室を増設することで児童急増に対応していた。 遠足や修学旅行にはバスを何台も連ねるという時代でもあった。当時、バスと言えば議員の後援会活動や企業の慰安旅行などの交通機関は、やはりバス何十台も連ねて観光地を回り

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食糧事情の厳しい時代に…

食糧事情の厳しい時代に…、 竹製の飯盒に詰められた昼飯につられて、竹林作業の手伝いに励んだ昔 竹製の三段お重の飯、おかずはというとチリメンジャコが白米の上に散り交ぜられているだけ…それが、美味い!今でもはっきりと覚えている。 チリメンジャコは醤油味がつけられて白米上にのせられている。今思えばたわいのない昼食弁当だ!それが、60数年前と思えないほど想い出す。 竹製の三段飯盒は保温力もあり竹林の土入れ

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私の“奈良漬け”挑戦・・・、はたして、成功するだろうか?

男子厨房に入らず (だんしちゅうぼうにはいらず) 男子厨房に入らずとは、≪この言葉の元になった修辞は「君子、庖厨を遠ざくる也」という   『孟子』にある言葉との説もあるが…≫俗には、男は台所に入って料理を作るべきではないという意味になっており、男女の役割が固定していた時代の言いぐさである。この年齢になると別だ。 今では、たまに料理を作るのはいいが、材料費にやたら金をかけて凝ったものを作る割にはうま

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今年は“大根”が豊作だ!想い出すのは “じゃこおろし”

今年は“大根”が豊作だ! 太くって長くって安い。 想い出すのは “じゃこおろし” 大根と言えば・・・、おでん.ぶり大根.煮つけと即座に答えられるほどに、家庭料理には欠かせない野菜だ。他に凝ったメニューもある。(胡麻油香るさつま揚げと大根の煮物.鶏肉と大根の煮物.大根の照り焼き炒め.ブタバラと大根のミルフィーユ鍋.大根とブタバラの味噌バター煮等々) 私は妻の薄味でしっかりと煮込んだ鶏肉との大根煮が好

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能登半島地震の被害の凄まじさ、悲惨な報道に阪神淡路大震災、東日本大震災の被害状況を彷彿する私  

『地震・雷・火事・(おやじ) 阪神淡路大震災の被害の恐ろしさ、災難、打ちのめされても“時”は過ぎゆく。 1995年1月17日、マグニチュード7.3震源地は淡路島北部、死者6,000人をはるかに超える大惨事発生の10日ほど後に、私は動いていたJRに乗り、JR西ノ宮駅下車後に神戸兵庫区平野 から東灘地区(御影.青木地区)の親戚の伯父さん、叔母さんを訪ねて被災地を歩いていたのである。その途中で見る被害の

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