藁(ワラ)にもすがる気持ちで・・・「神さま、おねがいします」

勝手なときの神頼み・・・。

人は平穏無事に過ごしているある日、困ったときや、ちょっと思うに困難に立ち至った時に、日頃の無信心も忘れて、神棚や神社仏閣へお参りして手を合わせる。まさに、私は勝手な時の神頼み派で、母親は私の高校進学時や就職試験の結果待ちの時に、合格を願って東丸神社(伏見稲荷大社境内内)にお参りしてくれていた。

その両親の影響は知らず知らずに、東丸神社、立木観音、石切り神社、薬師寺が私の信仰の対象である。とは言っても東丸神社は息子や孫の入試合格を願う時に、立木観音・石切り神社は年1回、初詣の時のみの参拝だ。合格しようがしまいが…、東丸神社へのお礼参りを怠ったりしている。

今、夫婦共々、そして、息子たち家庭が平穏な日々を過ごさせて頂いていること、こころからよろずの神様のお陰と毎朝、神棚に手を合わせている。そらそうだ!頑張っても、頑張っても、どうにもならないこともあろうし、逆に、実力以上にすべてが上手くいくことも、ままある。

だからその時は『お陰様で・・・、』と見えないよろずの神々に手を合わせて感謝している。

我が家、台所に丈夫な神さん棚、お社にはお札が2体・・・

運輸業界に長年籍を置き、無事故や業績向上こそわが身の安寧に繋がると言う思いをもあり、  また、幼き頃から父が自宅居間にしつらえた神棚に、お正月など折に触れ、榊、燈明をあげて手を合わせていた姿を見ていたためか、その影響もあり、結婚したマイホームにも自前の簡易な木板の神棚をしつらえてはいたが、信人心のない私には神棚があるという程度であった。

男の厄年を超えたある日、ふと思ったことが神棚の更新とお社の購入だった、思いは結婚以来艱難辛苦(かんなんしんく)の日々の中で、喜びと充実を願い歩み続けてきた、長男が大学卒業、二男が大学入学、我が会社人生も充実、『ありがたい!』ゆとりも…と言うことで思いを実現した。

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旧知の大工さんに頼み頑丈で板厚2cm、奥行20cm、幅1mぐらいの神棚を台所に、神具店で  真新しいお社を購入して神棚上に、更にコマゴマした神具を購入し、真新しいお社には氏神の水度神社のお札と石切り神社のお札を奉り、毎朝起床後身づくろいをした後に榊と燈明をあげて、柏手と共に無病息災の願いを…と、決意し行った。日々安寧で心豊かな普通の生活を、息子孫の

無病息災を願い毎朝、神棚に向かって祈るのが私たちのルーティンである。

ご縁を可能な限り大切にと願う私に、仏壇とお墓のお守のご縁を・・・。

我が家は浄土宗知恩院派で母胎寺は伏見区深草にある常泰寺である。父は二男で先祖代々の位牌、 仏壇、お墓は父の兄(おもや)の家系が管理している。ところが、父は生前に自分のお墓を、自分の仏壇を、更に、戒名もと言いだした。母胎寺の住職にお願いし両親の戒名をいただき、墓地に墓石を深草七瀬川町の小久保墓地に…、仏壇は従姉が仏壇屋をしていたので、色調形状など父の希望を聞き仏具一式購入した。両親はそれで安心したのか、一年後に母が、続いて翌年に父が鬼籍に入った。 私の兄弟は男4人に妹の5人で、私は二男の身であったが仏壇を我が家の仏間に迎え入れ、お墓の名義も、管理もさせて頂くと言うご縁をいただいた。思い返せば…、父は我が家の増築の時に押し入れの横に迎え入れた仏壇がスッポリ入る空間を大工さんに依頼して作っていた。その空間は洋服を吊るせるクローゼットとして便利に使用していたが、迎え入れた仏壇がスッポリと収まる空間であった。父は我が家の増築時にいづれはここに仏壇移設を考えていたのだろうか?知る由もないが…、

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神棚、仏壇、お墓のご縁は、限りなく…。

老夫婦の起床後のルーティンは神棚・仏壇に手を合せ、お祈りをささげる我が心はと問う時に答えは一つ、だれも同じ。来訪した息子や孫たちが仏間に入り仏壇に手を合せて「チン」と鐘を鳴らしている。また、お彼岸や命日にはお墓にお参りしてもくれる。仏縁を呼び起こしてくれる仏壇、お墓が 日常の中で、それぞれが夫々の思いで手を合せ、強制されない「祈り」をささげるひと時を持てることのありがたさは…、何に、いずれに感謝すればいいんだろうか? 今「ありがとう!」感謝だ。