結婚するまでは母親が…、結婚してからは妻が…「なんでこんな状態になるまで飲むん!」と夜遅く酩酊というより泥酔して帰宅、おまけに悪酔いをしている私を嘆き、詰(なじ)りながらも横たわる私を介抱してくれていた。
今から65年程前(昭和34年:1959年)
職場の先輩・後輩・同輩がうち揃って一升瓶片手に円山公園での花見酒、ある時は50畳ぐらいの広間に座しての大宴会…、誰歌うとなく「江州音頭」「花笠音頭」手拍子に合の手と賑やかに座は大盛り上がり。当時は宴会と言えば芸達者な仲居さんが座を盛り上げ、若手は先輩に焚きつけられて宴席のど真ん中に堀込まれる、そこかしこから持ち歌が披露されて宴会は延々と続くのだ。
勿論、老いも若きも、先輩・後輩・同輩手拍子打ち鳴らし、下戸(げこ)も上戸(じょうご)もお構いなく酒を酌み交わし、酔い、歌う、その輪の中に紛れもなく私がいた。 当時は、まさに群れて酒に親しみ、明日への英気を養う宴会が、そこかしこのグループで開催されていた。
そして、今から50年程前(昭和49年:1974年)
カラオケブーム真盛りだ!今まで居酒屋だった店が、こぞって映像つきのカラオケセットをカウンター後ろに設置しだし、雨後の筍のようにそこかしこにカラオケスナックがオープン!
昭和のド演歌大流行だ!
さくらと一郎の「昭和枯れすゝき」は世話になったkさんの持ち歌、酒の飲みっぷりもあっぱれ柔道の猛者Mさんは、いつも新歌をひっさげて歌う、ムード歌謡「夜の銀狐」、歌いぷりが忘れられない、同時期ご一緒した歌はうまくないが学生時代を想い出しては歌う、Hさんの「モズの歌(モズは枯れ木に)」には彼の感情移入があり好きだった。歌い、新しき仕事に共に挑戦した友は既に鬼籍に…
最近の職場では「今夜一杯どうや~」てな誘い方をすると、「今日は妻との約束がありますので…」と、あっさり断れることもあるそうで、過去には酒席を通したコミュニケーションは親族や友人、 職場など、あらゆる関係であったが、今そのあり方が変わろうとしている。
これまで何気なく「今夜一杯・・・」「飲みにケーション」とか使ってきた言葉が、平成生まれの人たちには通じなくなってきているのではないでしょうか?
宴会大盛あがり時代やカラオケ全盛時の私は、上司や同僚・友人から「今夜一杯…」と誘われれば“体調が最悪の時とお金がない時”“先約がある時”以外は断らないと決めていたので、お誘いがあれば「行く!」と…、きめた限り、とことん楽しく愉快な時間を過ごすように心がけていた。
それは「嫌なら行くな、来るな」が私の思いだったからで、宴会大盛あがりの 時代は詩吟で鍛えた声一杯に花笠音頭や民謡を歌い、カラオケ時代は演歌1本、都はるみに八代亜紀、五木ひろしに 吉幾三、北島三郎、村田英雄…、古くは 三橋美智也、春日八郎、島倉千代子等々持ち歌は豊富だ!
今でも風呂場で口ずさむ、涙の連絡船、好きになった人、リンゴ村から、別れの一本杉、恋歌、岸壁の母、・・・、童謡・唱歌も大好きだ! 一度、ド演歌 同好の皆さん、カラオケにいきません? それにしても暑い!!