食住の環境変化、台所には人生が詰まっている…

過日、NHKあさイチ“妻からバトンタッチされた60代男性の台所”が放映されていた。

小学校の教職にあった63歳の男性が、妻の脳梗塞、左半身不随という不幸に見舞われて、妻に代わって苦闘しながらもポジティブに家事全般を担い、退職後の人生において主夫を担うことになった実際を事細かく放映していた。

一昔前・・・日本の男性高齢者が家事を担っている割合は他国と比べて目立って低く、ほとんどの 家事は妻をはじめとする同居家族に頼り切っていることが多かった。

CIMG6005夏の世花火楽しむ

今は違う!夫婦適正シェアの時代だ!残念ながら私たちが生きてきた時代は「男は会社」「女は家」という役割分担をするのが合理的で、高度経済成長期にはすっかり、男は外で働き、女が専業主婦として  家事と子育てを担うという分業が一般的で、当時「男子厨房に入らず」があるべき姿となり、会社で男が「家事をしている」などと言うと、「奥さんに何かあったのか?」と心配されたり、「ついに愛想をつかされて、出て行かれたか」などと冷やかされたりした。事実、私も30歳後半から60歳まで育児、 家事全般、子どもの教育等々、妻の頑張りに支えられ、思う存分果敢に挑戦を続けることが出来た。

当時、家事に関する認識が根本的に間違っている男性が多く、妻に「誰のおかげで、飯が食えていると思っているのだ」といった物言いに代表され、金を稼いでくる男は偉く、金を生まない家事や子育てには価値がない(したがって、自分のほうが妻より優れている)という極端な考えを腹の底で持つ御人も多くあった。今の時代「誰のおかげで、飯が食えていると思っているのだ」とか、妻が「誰のおかげで仕事に専念できているの!」「誰のおかげで貯金ができていると思っているの!」という言い回しは離婚原因にもなりかねず死語になっている。

『この歳になるまで、三度、おじいさんの食事を準備するとは…』と、90歳で逝った母が80歳を過ぎた時に嘲笑しながら、時としてこぼしていたことを想い出す。99歳で逝った父は嗜好が偏り、味付けもなにかと注文が多く母の嘆きを誘っていたようだ。

両親が70歳代の時に長兄が転居し、夫婦二人きりになったが、それでも近所付き合いも含めて寄りつく人も多く、高齢世帯の気楽さと5人の息子・娘の来宅や旅行、食事の機会を、結構楽しんでいるような年月でもあったが…。長寿夫婦にとっては加齢と共に同輩の逝去、日々の寂しさ孤独感、食事、買物、浴室・トイレ清掃等々、家事全般にわたる難儀は、人生100年時代に生きる私たちと同様で、 その解決策は福祉制度の利用や血縁を頼る老々介護生活へと…、

晩年は高齢者の悩みそのものが、今と殆んど変わらない生活を余儀なくされていた。

CIMG4483今夏もトマト、キュウリ栽培

かの“あさイチ”に出演した男性は日々の生活に工夫を凝らし、調度品の配置にも不自由な妻が行動しやすいよう配置換えしていた。料理もネットを駆使し、 ハンバーグにも挑戦する等そこに喜びを見出そうともしていた。短期においてはそれも苦痛とは言えないだろうが、長期になるとどうだろう?

私の身辺にも加齢による変化が…、妻は5.6年前から指根管症候群の後遺症や脊椎管狭窄、脊椎  変形による諸症状に悩まされ、加えて、坐骨神経痛とも思われる激痛に見舞われ家事を思うようにできなくなってきた。結婚して57年余り寝込むこともなく痛いしんどい等、弱音を吐かない妻が今回は 激痛と、思うように動かない体躯に『ちょっと、横に・・・一服』と言うほどに余程だと…、これは私の出番!とばかり、主夫を…。私は恐れ多くも(今回3週間ほど主夫をやった思い)『私は料理も家事も妻ができなくなればやりまっせ!』と内心思っていた自分の思い上がりと、妻の日々、労度の大変さ・緻密さを心底理解していなかったことを恥じ、申し訳なく思った。長年頑張ってきてくれた妻に感謝の思いが心底湧き上がってきた。思わず「ゆっくりしいや」「できることを少しづつやったらええやん」の言葉、いたわりと優しさに溢れている自分の言葉に驚いた。これから幾年生きるか分からんが、無理せずチョット省きながらゆったりと支えあって生きなければ…。妻の余病の緩解を祈りながら…(8/20妻元気回復)