歌は心のストレッチ(32)《文楽》

去る1月9日、友人に誘われて大阪の国立文楽劇場で約10年ぶりに文楽を鑑賞しました。人間国宝である八代豊竹嶋太夫の引退披露公演とあって大変な賑わいでした。浄瑠璃語りの大夫、三味線弾き、そして人形つかいの三者が一体となって演じる文楽は、観る人を幽玄の境地に引きずり込んでくれます。

八代豊竹嶋太夫さんは「関取千両幟」に出演しましたが、83歳とは思えぬ朗々とした声で、老いを感じ始めたわが身に喝を入れられた思いでした。

メインの演目は、野崎観音を舞台にしたお染と久松の悲恋物語で、昔直立不動で唄っていた東海林太郎の「野崎小唄」を思い出しました。その2番の歌詞は「野崎まいりは、屋形船でまいろう、お染久松切ない恋に、残る紅梅久作屋敷、今も降らすか春の雨」

私が初めて文楽に接したのは中学生の頃でした。当時大分県の片田舎に住んでいましたが、大阪から疎開してきた浄瑠璃の師匠さんが土地の人々に浄瑠璃を教えて生計を立てていました。隣家の奥さんが部屋を浄瑠璃教室に提供したものだから、防音のきかない田舎の建物で三味線の音や声が我が家に容赦なく響き渡り、英語の教科書を開いても単語は頭に入らず、浄瑠璃の一節のみが頭に入ってきました。おかげさまで学校では英語はさっぱりでしたが、先代萩の一節を余興に披露してクラスメイトを笑わせたものです。