『旅』は時代と共に, 我が状況により…

コロナ感染の脅威を感じ始めてこの方、自粛の 気分が旅へのフットワークを鈍らせている。戦中戦後の厳しい時代、幼き頃、両親と「旅」を楽しんだ想い出は残念ながらない。

今日まで私が自由奔放に「旅」を楽しませてくれているのも、両親の艱難辛苦のお蔭と唯々感謝だ!

 八十路をひた走る私は越し方を思い起こすとき、

常に潤沢にある余財を使っての「旅」というよりも工夫を凝らし、どうすれば利口に、喜び大きく、 満足感一杯の「旅」を楽しむことができるか計画段階から知恵を絞ってきた。旅は日常だった。

☆竹筒貯金の効能

 旅費の捻出にも工夫があった。結婚して子どもが幼いときの楽しみ…、5~6年続いたろうか?夏の竹の浜海水浴だ、全て妻がコツコツと貯めてくれた竹筒貯金が原資だ!ケチケチ旅行だったが、想い出と旅するという日々の目標は、この時期得難いものだった。 コツコツと貯めてくれた竹筒貯金はウミガメ産卵の四国徳島大浜海岸、飛騨高山の旅、能登半島周遊、まだまだある、伊豆半島から富士五湖巡り、秋吉台から安芸の宮島、広島の旅へと誘ってくれた。

旅は出発するまでの楽しみ、そして旅先の喜び、帰宅して写真や資料を整理する楽しみの他に竹筒貯金だ!いくら入っているかと数える楽しみで、今も竹筒貯金効能は息子たちが揃えば素敵な語り草だ。

☆両親と幼子との旅も心が和む旅だった。

 1967年に結婚、住宅ローンと日々の生活に追われていた日常生活のなかでも、「旅」は心に潤いと 明日への力を与えてくれた。長男誕生後にオムツ持参での近場の「旅」、榊原温泉行は、結婚後初めての両親との「旅」だった。

秋の小豆島寒霞渓をと企画した旅は、既に二人の息子は小学生だった。寒霞渓ロープウエイ、24の瞳教室等より、近づいてきた猿に怯える幼子を両親が抱え込んで、猿から幼子を遠ざけようとしていた情景が微笑ましく思い出される。私たち夫婦、我が息子達、両親の絆を深めてくれたのも「旅」であった。両親と宇治川花火大会夜の食事会も想い出だ。

☆自動車免許取得とマイカーは「旅」を身近に…

 独身時代も含めて私には「自動車なんて買えっこない!」「免許証なんて必要ない」と仕事、生活に追われていたが、息子も成人し、世の中も少し変わりだしていた、私49歳の時に、運転免許証を取得する機会に恵まれた。自動車も中古だが購入することができた。自動車の購入で、私の行動範囲、旅へのフットワークは格段と良くなった。息子たちが成人し、マイカーのお客様は老いた両親であり、安全監視も含めてカーナビを上まわる能力を発揮して、助手席に鎮座する妻の役割も旅には不可欠だった。

最初の車はシビックだ!後部座席は狭く、クーラーの効きの悪い席に老いた両親は小言を言うどころか、私が企画した旅の栞をもって喜々として同行してくれた。山陰大山寺から遠く離れた瀬戸内与島二泊三日の旅、長野善光寺の信州周遊の旅、上高地・美ヶ原・宇奈月トロッコと周遊する旅、鳥羽・賢島周遊の旅、京丹後カニ満腹の旅、松島・瑞巌寺の旅、等は、 我がマイカーは「旅」を容易にしてくれ、 親孝行の真似事もできた。

☆工夫こそ旅の醍醐味だ!

 近場から遠隔地へと誘ってくれたのはANAのマイルポイント制度活用と、パソコンを駆使した自前の旅計画だ。羽を伸ばせるような年齢になったことも加味して、せっせとマイルをためての旅は北海道、沖縄・東北と三泊四日、四泊五日と大きく膨らんだ。しかも、原資少なく楽しみ倍増の計画だからして、ANAのポイント利用とネットを駆使して、ホテル、旅館、レンタカーを自前で予約『旅の栞』作成し、同行者と楽しみを膨らませての「旅」を楽しんだ。北海道は千歳空港、函館空港、旭川空港起点として、レンタカーを駆使し小樽、洞爺、函館、富良野、旭川、稚内・礼文・利尻、網走、知床、釧路・阿寒と何年かに分けてハンドルさばきも鮮やかに広域の北海道を存分に楽しんだ。

☆飛行機とレンタカーは旅の大きな武器だ!

 北を制すれば南、福岡空港、那覇空港を起点とした広範な旅もどれ程に喜びを増幅してくれたことか…沖縄、宮古島、石垣島、奄美大島の南国風情、天草五島、熊本、長崎、福岡の名所旧跡巡る計画も楽しんだ。飛行機とレンタカー・高速道路は宿を選び食事処選ぶ自前の旅でありほんに贅沢な旅だった。

☆思い起こせば・・・

 助手席で旅をサポートしてくれた妻、共に楽しんでくれた両親との全国を駆けめぐった自前の旅、今となれば各所、各場所の想い出、情景は脳裏を駆けめぐる。イルカを見れば天草の遊覧船、佐渡への船上、隠岐の島へのフエリーで見たイルカの群泳を思い出す。取り分け7年前に計画した東日本大震災福島第一原発事故の悲惨な状況からの復興が、遅々として進んでいない立入禁止区域の現状をつぶさにと福島空港から165号線を北上、浪江町、富岡町、双葉町、石巻、氣仙沼、宮古と国道を青森まで北上した旅は、津波の脅威と原発事故の恐怖をしっかりと目に焼き付けた忘れられない三泊四日の旅だった。

コロナ終息すれば老妻と近場の温泉でもと思う。