955年(S30年) 『この世の花』 島倉千代子の歌声は今も耳に…
作詞:西条八十 作曲:万城目正
(一) 赤く咲く花 青い花
この世に咲く花 数々あれど
涙にぬれて 蕾のままに
散るは乙女の 初恋の花
島倉千代子の哀切極まりない声、歌詞、私が15歳のときに聞いたチョットおませな歌詞であったが、多感な年頃、聴き入り歌い、島倉千代子のファンになりました。
歌声が好きで『からたち日記』『愛のさざなみ』『人生いろいろ』と、童謡、唱歌が好きだった私を歌謡曲好きに導いてもくれました。
次に私を魅了した歌手は「はるみ節」と呼ばれる、うなり声のような力強いこぶし回しや、波打つような深い ビブラートが特徴の都はるみでした。
1964年『あんこ椿は恋の花』1965年『涙の連絡船』は、長じても私の十八番の歌となり、こぶし、喉を絞ったうなり声も自分では秀逸と思い乍ら、得意げにカラオケで歌ったものです。
この後も1984年『夫婦坂』1980年『大阪しぐれ』1975年『北の宿から』宴会などでちょっとふざけて1968年『好きになった人』を得意げに歌っていたのも懐かしい。
成長した二人の息子からは、おやじが酔っ払って帰ってくる時のはるみ節の声が遠くから聞こえてくると『今夜はご機嫌だな~、酔ってる~』と、今でも当時のことを思い出しては懐かしんでくれる。
40歳を過ぎた頃だったか、妻に語った言葉は今も語り草だ!『俺、今、人生の頑張りどころやと思う』『仕事も含めていろんなことに真剣に全力で向き合おうと思う』『こんな年月はそう長くない、家庭のことは頼むよ』妻は『いいよ、頑張って…』と背中を押してくれた。長男が高校生、二男は中学生の頃だった。
俗にいう猛烈社員だろう、昼は仕事、アフターファイブはカラオケ全盛期「歩」「王将」「他人船」「恋歌」「北へ」と増えた持ち歌を同僚、上司、部下と謳歌したものだ。歌は心のオアシスというところだった。
今では歌うより聞く側であるが、好きな歌手の歌声がラジオ、テレビから聞こえてくると思わず口ずさんでいるし、一度、誰かさんを誘ってカラオケにでも行こうかな~という気持ちにもなっている。
付け加えると妻はカラオケは嫌いだ! 下手な歌を三番まで聞くなんて…、とのたまう。
思い出すのは二人で旅行した民宿の部屋にカラオケの装置があったので『よし歌おう!』と酔いに任せて、2曲、3曲と得意になって一人で歌っていると、妻は『やめて!もういい』と歌う私を制止した。
妻はいまだに童謡、唱歌の世界にいるようだ・・・・・・。(笑)