大きな木製のタライ! 懐かしいな~

1950年(昭和25年)頃だった。

洗濯機がなかった時代、大きなタライは大家族の洗濯に、夏は行水に、そして、水浴び・水遊びにと大いに役立っていたことを懐かしく思い出す。

私10歳、やんちゃだったが近くに流れる疏水や桂川の欄干から飛び込んで泳ぐという勇気もなかった、意気地なしだった。

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今、私は週2回、スイミングスクールに通っているが、当時、町内50軒ぐらいの家庭で、蹴上の舞踏会や桃山の南部プールに通える家庭の子は氷屋・米屋の息子だけだった。

赤帽と水泳道具を持ってプール通いする同年齢や流れのはやい疏水に飛び込む勇気ある町内の子どもを横目に、この大きなタライを出してもらい水遊びをして、平泳ぎしている自分がそこにいたのである。いまだに私は少ししか、泳ぐことができない。

近頃は学校にプールがあり水泳教室が教科として行われている。スイミングスクールの壁などには、夏季スイミング教室開講と宣伝されて、多くの児童がプールで「クロール」「平泳ぎ」「背泳ぎ」「バタフライ」の4泳法をコーチから教わっている。

二人の息子はこの夏季スイミング教室にちょっと通わせたが…、今、ほぼ金づちだろう。孫はというと4歳頃からそれぞれスイミングスクールに通わせ、その4泳法とかをマスターしている。やはり、息子も泳げなかったことを身をもって感じていて、我が子にはクロールで、バタフライで軽やかに泳ぐ姿が見たかったのであろう。

私も孫のスイミングスクールで泳ぐ姿を時たま見に行くと、そのうれしそうな顔、誇らしげに泳ぐ姿を見てうれしくなると共にやはり、記憶に残る大きな木製のタライ、そのタライにホースで水を注いでくれていた母の顔をふと思い出すのである。

そして、夏場、タライ行水後の顔やお尻一杯に、ポンポンを真っ白なまではたいてくれた母の優しいしぐさが思い出される。(完)