オリンピック・・・

1964年.1972年.1998年、そして、2020年東京…と共に我が人生

◎2021年7月、我が歳81歳、果たして東京オリ・パラは 開催できるでしょうか?

新型コロナウイルス感染の収束が見えない中、東京  五輪・パラリンピックをめぐり、国会はもとより巷でも喧々諤々(けんけんがくがく)と語られている。

コロナ感染の脅威はさめず、ワクチン接種もままならず、はたして…

アスリートの五輪への夢の実現を考えると『なんと~、悩ましいことだ』 もう開催まで2ケ月を切っているのに、はてさてどうなるやら…

さて、この歳になると、昭和歌謡曲を耳にすると『この曲はあのスナックでしきりに歌ったな~』と、1975年時代のあの時、あの場所が、共に歌った人の顔まで鮮やかに蘇る。オリンピックもやはりそうだ!私の得意は演歌!はるみちゃん、あきちゃんだ。 スポーツ万能? さて…、

◎1964年、我が歳23歳、私は京都国立病院(現京都 医療センター)の駄々広い夜の待合室のソフアーで、東洋の魔女の激闘を観戦していた情景が鮮明によみがえる。

その時、私は夢多き若人で、気力体力満ち満ちた23歳 10ケ月…東洋の魔女・河西昌枝らの激闘、体操日本ここにありと小野僑、遠藤幸雄、手に汗したボクシングの桜井孝雄、ウエイトリフティングの三宅義信、レスリング吉田義勝の金メダル奪取の姿に、術後の我が身を忘れて欣喜雀躍した自分の姿と、暴飲暴食若気の至りともいえる肛門周囲炎手術に至った経過と共に、ほろ苦く五輪東京大会が思い出されるのである。

1972年、我が歳32歳、…アジアで初めて開催された札幌冬季オリンピック!笠谷幸生の華麗な金メダルジャンプと共に思い出されるのは、トワ・エ・モワの 『虹と雪のバラード』の爽やかな歌声である。

この年に我が家には待望の二男が長男誕生後、5年振りに誕生したのである。その二男も早、まもなく49歳を寿ぎ、5男1女の子宝に恵まれて、働き盛り、世帯盛りの人生を雄々しく歩んでいるからして、やはり、札幌冬季オリンピックも忘れられない。

◎1998年、我が歳58歳…長野冬季オリンピックの舟木和喜らのラージヒルジャンプ金メダル、里谷多英のモーグル、清水宏保のスピードスケート金メダルの奪取も記憶に残るが、総合プロデューサー、劇団四季の浅利慶太、音楽アドバイザー小澤征爾演出の開会式、横綱 曙の土俵入りの記憶は鮮烈だ!

それにも増して、今なお心ときめく我が身の華麗な?転出だ!一つの区切りである60歳をまじかにした  58歳、系列会社への出向!楽しき、勇往邁進の  人生100年の礎を築かせてくれた日々ではあった。

築き蓄えし我が力を絞り出すような日々を、いまだに長野冬季オリンピックと共に思い出される。

果たして、2020東京オリパラ大会は…、今夏の一大イベント、開催までの道のりは如何に…、

そして、我が人生のオリンピック記憶に彩を添えてくれるだろうか? 悩ましいことだ! そして、次なる日本 開催地のオリンピックを生身で目にすることができるだろうか?     いやはや・・・     (完)

 

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