アジアで…日本で最初に歌われたベートーヴェン第九交響曲の故郷で歌う!

徳島県 鳴門市 なると第九 をうたう 6/3(土) 6/4(日) 6/5(日) 旅      1994 私のベートーヴェン交響曲第九番との出会いの年であった。(54歳…合唱団入団は初体験) テレビのドキュメンタリー番組で初老の男性が苦労に苦労を重ね、第九を歌い終え感激しているその姿を見て、『素晴らしい』と…、当時、このような感動感激を味わう機会が少なくなっていた自分『挑戦しよう!第九を歌おう!』と決意し無謀にも、歴史が古く発生など厳格にやられていると言う大阪フロイデ合唱団に入団したのである。 大阪フロイデ合唱団は1962年活動開始という歴史を持ち、毎年、年末には外山雄三指揮 亀井正比古の合唱指導で、フェスティバルホールで『ベートーヴェン第九交響曲』公演を行っていた。

CIMG2584 昨年12月17日宇治第九合唱団で歌う…毎年とこか歌っ

入団したものの練習会場は大阪市内各所持ち回り、勤務終了もそこそこに練習会場に駆け込み自宅には23時前に帰宅するというハードなものであった。 練習も皆勤、合宿も参加するなどベートーヴェン第九番をうたいたい一念で精一杯取り組んだ。

暗譜も 大変、ドイツ語の難解な発声にも戸惑った。リズム感、音を外さない、高音部の発声等… テノールとして 舞台にたてるだろうかと不安でもあった。 この様々な取り組みと思いをもってフェスティバルホール舞台に上がったのである。

オーケストラを前に 指揮者、ソリスト、フェスティバルホールという雰囲気に酔い圧倒されながら、ゲネプロ開始である。 ゲネプロ途中からとめどもなく涙が頬を伝うのである。そして、翌日本番舞台は家族を含む多くの観客の拍手と「ブラボー」の声と共に終えた。『終わった!』との思いと共に,ベートーヴェン第九番を歌うことができた達成感は想像していた以上で…やり終えたと心底喜ぶことができたのである。 その感動、感激が忘れられず、それから23年ライフワークとして、毎年年末に『第九を歌う』為に8月頃からいずれかの合唱団に入団して今日に至っている。

4年前は合唱指導の中村先生のご縁で、ドイツ:日本国交樹立150年を記念した企画でスイスのビクトリアホールで現地オーケストラ、ソリスト、スイス、フランスの合唱団と共に歌うことができた。素晴らしいご縁をいただいたと感謝している。

ここ数年は仲間の友情にのせられて、入団した合唱団以外の舞台でもうたう機会があり、異なる指揮者、オーケストラ、ソリストでベートーヴェン第九番を歌うことができることを歓んでいる。

その仲間たちから昨年、我が国初演地の徳島県鳴門市で『ベートヴェン第九番』を歌いませんかとの誘いを受けた。 ハードなスケジュールだったが、今、振り返ってみて『行ってよかった』と、感動感激の3日であった。

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6/3なると到着と同時にばんどう収容所跡へ慰霊碑前で献花、第4楽章斉唱

CIMG2902 ドイツ館表敬訪問

CIMG2901 ベートーヴェン銅像まえでパチリ

CIMG2910 6/4602人の合唱団、オーケストラ、で歌った舞台

CIMG2924本番終了後、もてなしの交流会、2時間 指揮者、ソリスト

CIMG2936 6/5大塚国際美術館シナージホールで第九歌う

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CIMG2954合唱終了後 ホールで記念のスナップ

第九で培ったご縁は多く、今回も命かがやけ第九で知り合った、溝入さん、江川さんのお誘いで、鳴門第九に参加することができた。

流石・・・おもてなしの土地柄、準備一切、本番、本番後も含めて素晴らしい  ❛接待❜であった。 健康である限り、これからもベートーヴェン第九を歌い、良き友との交流を続けたいものだ。  (完)   記 yamashin