出来るだろうか?、行くことが出来るだろうか?、そこまで生きてるだろうか?…

齢を重ねるにつれて、『できるだろうか?』『大丈夫かな?』『東京オリンピックまで生きてるかな?』『孫の高校入学まで元気でいられるかな?』と、先々ことでわからないことに思いをはせるとか、自分自身で心配事を作り膨らませてしまう言葉をすぐに口からついて出るのである。

「今年も立木観音さんの800余段の石段、登れるかな?心臓が…足腰膝が持つかな?」と年末から心配していたが…

≪初詣≫

毎年、初詣は、氏神さんの水戸神社、伏見稲荷大社、石切神社、立木観音と決めている。結婚前は両親と共に…結婚後は妻、両親、子供… そして、両親が亡くなり、息子たちが独立した今、妻との初詣は無病息災を願う年初めの必ず行う決めごとである。別段信心深いということでもないが…

002 伏見稲荷大社

≪初詣で所作≫

水戸神社、石切神社ではお札を頂き我が家の神棚社に祀り、伏見稲荷神社では年に一度の御神籤をひかせていただき、そのみさとしの文意を身の戒めとする(他所では一切御神籤をひかない。今年は大大吉だ!)、立木観音では全てのお札やお守り一年使ったお箸、しゃもじなどを納めさせていただき、新たにお箸としゃもじ(杓子)を頂き1年間使用する。この行いも我が家の初詣の決め事だ。もう一つ、お百度参りで知られる石切神社では毎年自分で決めた数だけお百度?を踏ませていただき無病息災を祈る。今年ならば我が歳74歳…7+5=12回 12回お百度を踏ませていただき無病息災をお祈りした。妻も自分で決めた回数のお百度を踏ませていただき、何かお願いしているようだ。

≪今年は昨日2/25 、立木観音にお参りし、初詣は終えたという気分だ≫

今年はこの初詣、水戸神社、伏見稲荷大社は1月早々にお参りできたが、石切神社と立木観音は2月になってからで、昨日立木観音さまのお参りを済ませて『ようやく…』という清々しい気持ちになっている。

004  002

≪立木観音石段、八百余段に我が歳とわが身の退化を知る≫

昨年、11月初めに京都第一日赤で受けた人間ドックの結果が、“ゾウボウブロック?“”除脈…”という症状名?で循環器系統の精密検査を受けるようにとの結果であった。脈拍が極端に少ないということで1月23日に精密検査を受けた。

確かに最近脈拍が42位の時もあり(普段でも脈拍63位)時たまメニエル病の時のように目が回ることがあり、日々の生活においては無理をしないようにしてはいた。 しかし、早朝ストレッチは火・木・土曜日行っており、プールも週2回行き、別段変わらずというところであったが、この際ということで日赤という大病院で精密検査受けた。結果は6ケ月に1度心電図をとりましょう。ということで日々普段通りの生活はOK…(目まいが頻繁に起こり、失神するようなことが生じると“ペースメーカー”を心臓近くに埋めてリードするそうだ。今はその必要はないとのことだ)

≪立木さんの石段あがれるかな~?≫

学生さんが飛び上がるように足早に石段を駆け上がっていかれる姿を見て『俺もあんな時があったな~』今はとてもとても一段一段噛みしめるように、ゆっくりゆっくりと登るのである。のぼり石段をあがるのに40分あまり、下り石段を下るのに30分余りかかった。心臓がドキドキ踊らないように…目まいがしないようにとわが身と足(膝、太もも、など)を気遣いながらのお参りであったが、お参りを終えて『今年もお参りできた!』との喜びが心を明るくした。

003     006

↑ マットを使った横臥位のストレッチ      ↑火・木・土曜日の早朝ストレッチに集う人たち

≪ゆっくり登る石段、今まで気が付かなかったことが…≫

今まで感じたことのない最近の体調変化、脈拍数が少ないことによる動悸を心配しながら、ゆっくり、ゆっくりと石段を舐めるように上っていく。息苦しくならないようにとの思いで、ひと休み、ひと休みの繰り替えし一の連続で石段を登っていると…

石段の横手の山肌にびっしりと生える苔の美しさに目を奪われ、間伐された美しい山林を見るにつけ、治山治水こそ今必要とされる日本ではなかろうかなど、 同行する妻と語らうことこそ素晴らしい!。ゆっくり登るからこそ見えてきたということであろう。早く一足飛びに駆け上がっていた時には見落していたことが見えてきた…ということを喜びとしなければ…

≪『いつまで生きられるんだろう?』『もう見られないのでは?』『体がゆうこときかん』≫ との思いは年を重ねる者が何時も口にする言葉だ。

日本人の平均寿命や健康年齢を考えると、40代、50代では考えない、口には出さない我が寿命は、今 意識しないと言えば嘘になる。 十分に健康管理をしても気をつけてもどうしようもない我が寿命、表題のような『生きられるだろうか?』『見られないのでは?』『体が動かん、なんでや』と嘆くよりも、今生きていること、今元気に楽しめていること、800余段の立木観音石段をゆっくりではあるが登れたという“今”を喜ぶようにしようと思っている。可能ならばポジティブにアクティブに思いを御し、今を大切に、今を充実した日となるように…明るく、楽しく朗らかに、活き活きと過ごすことに想いと心をいたしたいと思っている。(完)