どのような日々が、そして、日々の願いは・・・

2007年存命中に日野原重明先生いわく

『人生最後の時期はいつだと思われますか?』と、講演会で問いかけられた。そうです。

人生の最後の時期は・・・「わからない」しかし、体の衰えからなんとなく、「そろそろ、お迎えかな?」とのことぐらいはわかるもんだと、元気な今、思っている。

65歳以上を『老人』と定義したのは、国連が1956年に「文化国家は65歳以上を老人とする」決めたところからはじまった。1956年と言えば昭和32年で、当時の当時の日本人の平均寿命は、男子63.59歳、女子は67.54歳だったから、65歳以上を『老人』としてもなんの異論もなかった。

ところが…、今は男性81.4歳、女性が87.5歳で、『人間100歳時代の到来:老人』が65歳からなんてとんでもないという時代になってきました。日野医師は訴「75歳以上を老人」と定義しようとえておられた。75歳以上の人が何か障害を持っていても、何かリハビリをしているときも「人間としてまだやろう」という気力持っておられる。

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 95歳 翁 踊り百まで忘れじ

過日、私が長年勤めた某会社のOB会があった。役員、元役員もほぼ全てが出席するという宴席が京都駅近くのザ・サウザンド京都(ホテル)であった。元役員で城陽の浄土宗のお寺の住職:Tさんと同席した。歳は70歳チョイ手前か? 風貌は口周りに髭をはやし、よく手入れされた髭で柔和な顔によく髭が似合っていた。

会社を退職してから髭のお洒落を楽しむようになったとのことであった。私より十数歳ぐらい下で、 一緒に仕事はしたことがないが、同じ城陽ということで旧知の間柄であった。

在職中は私の私見だが、少々理屈ポイ面もあり、その分博識で勉強家だった。 最後は関係会社の  ゴルフ場社長:支配人に収まり、周囲からそのポジションを羨ましがられるという程で、それなりの  爪痕を残された人だと記憶している。

酒を飲み、上手いコース料理を食するうちに、Tさんは話し出した。

『私は今、R大学で今、学んでますねん』『若い人と共に学んでいますが、楽しいです』『風貌からか、時には教授に間違われることもあります』と、70歳前にしての学園生活を、とつとつと話してくれた。勿論、住職の役割もしっかり果たしたうえでの学生生活だ!すばらしい。定年後に大学進学で学び直しを…、彼はこの選択をしたようだ。

生きがい作りに大学で学びなおし… よく聞く話だ!

『生きがい』人は誰でも、何らかの「生きがい」を持つことで、人生の価値や意味を見いだそうとします。生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものです。

生きがいと健康…健康を維持し、家族関係も含めて親しい友人や仲間との良好な関係を築き、ごく ふつうの交流をもつことが、高齢者の生きがいを高める、大きな要因だそうだ。

会員の皆さまの『生きがい』『やり甲斐』『お役立ち感』を拝見いたしますと…、内なること(内面)を深めながら、交わりながら活き活き過ごされている方、外なることに心を動かし、得ること感覚に刺激を受けながら外なる心の動きに満足を覚える方等、生きがいの感じ方は当然ながら人それぞれではあるが、皆さん健康で素敵な日々を刻んでおられることを伺い知れる。さ~時季よし…心豊かに過ごしましょう。よく言われている「教育:今日行くところがある(つくる)」「教養:今日用事:予定がある(つくる)このことに尽きるのではなかろうか。 孫の守、読書、土いじり、手作業、自分が時間の経過を楽しめる事々や旅、スポーツ観戦、ボランティアに心を動かし行動するもよし…

肝心なのは、心の赴くままに計画し、目標をたてて、自分が納得する時間、日々を過ごすことかな?   (yamashin)