≪我が家の正月≫

≪我が家の正月≫

365日休日の我が家にも『めでたけれ、年初め』

『おとうさん、K君のお年玉どうしよう?』『そやな~、今年の2月で20歳か…、今年までにしとこ』 それなりに頭を悩ませてはいるが、お年玉一つにしても考えること事態が妻の喜びなんだろう。

私達には二人の息子がおり、長男は京都市、二男は枚方市住まいを構えて、長男には娘一人(大学生) 二男には6人の子ども(大学生2人、高校生1人、中学生1人、小学生1人、幼稚園年長組1人)    子ども達が幼くてそれぞれの成長過程では、手狭な我家に揃って年始に来てくれても、その時その折、妻の心づくしの祝膳を、賑やかに囲み年玉を手渡しその成長を喜ぶことができたが…、

今ではそれぞれが大きく成長すると、家が手狭になったことに加えて、それぞれの行動予定の調整も含めて流石に難しくなり、両家一同揃うことも難しくなってきた。

昨年は息子たちの提案で二男家族とは2台の車に分乗して、南紀のホテルに宿泊し、ゆったりと湯につかり、食後、大広間でのビンゴゲームに盛り上がり、話に花を咲かせた。

長男は正月明けに来宅、揃って近場での会食を楽しんだ。こうした企画は毎年、年末・正月の準備に忙殺されている母を案じて見ていた息子たちが、話し合って『ばぁちゃんに、楽してもらおう』と、我が家で揃って祝膳を囲む年始の形態を変えるという思い切った提案をしてくれた。

さて、今年だが・・・、3人の大学生たちはアルバイトの調整が難しくなり、しかも、二人の大学生は年明けて二十歳の成人式列席と言う予定があり、再び例年通りに長男家族、二男家族が別日に来宅、我が家で祝膳を囲むこととなった。

8人家族の二男の方は元日に来宅、3人家族の長男は8日に一人娘の二十歳の成人式用晴れ着の着付けを済ませて、その艶やかな姿を見せに来宅してくれた。こうした息子家族と新しき年の初めに、新年を寿ぐ時にふと思い出すのは、やはり、私を育ててくれた明治:大正生まれの両親が行っていた、年 あらたまる節目を意識した、神仏への正月準備を思い出させてくれる。

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父は年末には神棚、仏壇を清掃し清め、神前の しめ縄、榊を献上し、炊事場、トイレ、ふろ場には裏白付き輪飾り星月さんを供えるなど、親父流に神仏に対する迎春準備を行っていた。

大晦日には家族が寝入ってから、父は一人で祇園八坂神社にお詣りして、火縄授かり帰宅、その 火縄を火種におくどさん(釜戸)で、正月の3ケ日 お雑煮を炊いてくれた。

そして、『さ~、みんな起きて~』との呼びかけで、家族全員が起床、枕元に置いてあった年玉を手に、正月用の服を着て、みんな揃って仏・神前に参拝後、祝膳を囲み母親が年末に作ってくれた煮しめと、 父親が作ってくれた雑煮で新年を寿いだ。

親父が作る雑煮は京風で白みそ仕立てで、餅が入っているだけだが、親父は4人の息子に雑煮の中に入っている『頭芋を食べなければ頭に慣れないぞ!』と言うのだが、私は頭芋とクワエは苦手であった。

私は結婚して新家庭を持ってからも、やはり、親父かやっていたように年末には神棚、仏壇を清掃し、神飾りは略式ながらお飾りをして親父流の迎春準備を受け継いできた。

明治・大正生まれの両親の迎春準備は、清貧ではあったが、全てに『愛』と『お陰様で…』の精神というか、思いが一杯あふれていたように思う。

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私たち夫婦もさして強い信仰心はないが、息子や孫達との迎春は、息子家族への限りない『愛』であり『慈しみ』の心であり、神・仏に対しては敬虔な『お陰様で・・・』と感謝の思いで拝礼している。

嵐のような迎春、家族一同の年始の事々も心を感じながら松の内(関西風は1月15日)をもって 神さん飾りやお供え物を撤饌し迎春の終わりだ。

そして、新しき年2023年が本格的に始動する。二男宅は大学3回生の就活、加えて、高校受験生と大学受験生がおり、息子いわく『今年は攻めの年と意識して、それぞれ最善を尽くす』と…、二人の  息子の家庭、そして、八十路を喘ぎながら歩む私たちにとって、健康に恵まれて、幸多き年となりますように心から念じています。