♯夕焼け空が マッカッカ とんびが くるりと 輪を描いた ホーイノホイ♯(斉藤博道記.会報転載)
昭和33年、当時‘夕焼けとんび’の歌を聞くたびに、幼い頃を思い出したものである。
瀬戸内を見下せる小高い丘、青い空、青い海、トンビが舞うのどかな故郷 笠岡諸島の情景は、今でも懐かしく思い出される。私の原点だ!この歌を聞いたのは26歳、神戸から京都に移り住んだ頃だ。
思い出は尽きない… 男子国民学校当時は義勇軍、 少年航空兵に憧れていたものの終戦、変革する時代の潮流に翻弄されながらも逞しく学業に取り組んだ!と言いたいところだが…バレーボール部での大活躍は特筆ものだ、男子校だったので丘越も苦にせず、隣接する女学校へ練習に行くのが楽しみだった。
60年余り過ぎた今でも、女子高生だった‘今はおばあちゃん達’との旅行.食事会など京都、岡山での再会と交流が続いているからうれしい。 今日の風潮 ‘イクメン’ ‘ゴミだし担当’ と男女共同参画時代、男の役割も大きく変わった。 決して『軟弱な!』とは言いません。
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職について40年余り“猛烈社員”そのものの時代にも悔いはない。『その頃があって今がある』と強がって見ても、妻、息子達には随分と『亭主元気で留守がいい!』とは言い切れないであろう“苦労”“難儀”を かけたであろう。 その息子達も独立し平穏な家庭を築いてくれていることがうれしいし、息子.嫁、孫は私の宝だ! 『妻に感謝だ!』(面と向かって言った事はないが…)
40数年前のことが昨日のように思い出される。 遠い昔のことであるが…地域では久世小学校体育館で練習したバレーボール、新設の深谷小学校運動場で取り組んだソフトボール練習は対外試合の好成績と相まって大きな喜びであった。 そして、今では妻と共に楽しむことが出来るゲートボール.グランドゴルフも夫婦共通の楽しみが持てること、互いの健康維持に加えて、培ってきた地域の絆の一層確かさを感じるひと時である。
人が願う 『PPK…ピンピンコロリ』よりも、私は『PPO…ピンピンおだ仏』にと健康寿命を願っている。 そのためにも“正道官衙ストレッチ”を楽しみにし、日々の生活の目標にして『PPO』と願いたいものだ。 (‘正道官衙でストレッチを楽しむ会’ 会報25号 H25年12月1日発行:転載)