正月一族郎党集い・・・
正月には親、兄弟、嫁に孫…、
一族郎党が集い新年を祝い、尾頭付き魚や雑煮など縁起のいい料理を囲んで、一年の無事を願い、共に祝いながら家族団らんという時間を過ごしてきた。
集う子や孫へのお年玉も、幼き者の成長を慶び、 相互扶助的な色合いもあったのが、大正:昭和と受け継がれてきた賑やかな正月の良き習慣であった。
私たちもやはり正月は親の家に、子を連れて年賀に行ったものだ。年玉を貰った我が子の顔も思い出す。こうした年末年始の良き風習:慣習も親が揃って元気なうちこその良き風習だが、老病苦を恐れる加齢を考えると、早い時期に親も子も孫も共に 無理なく正月を祝う工夫を息子と娘と話し合うことができれば最高だ!心が通い合っておれば・・・、
いまでは高齢者世帯や一人暮らし高齢者世帯が軒並みに多くなってきたからして、正月休みを利用して『日頃、多忙や遠隔で実家に顔が出せてないのでおば あちゃんに孫の顔を見せたい』孫や子は、久しぶりに祖父、祖母の暖かさに、正月気分に触れたいとの思いで、手土産片手に実家に帰ってくるのである。 最近、少子高齢化と職・住接近願望が合理的ということで、家族構成が様代わりしてきた。
親と子の情、孫達への慈しみ…、親としては賑やかにお正月を祝うことの楽しさに来宅を心待ちするのである。しかも、年末から子や孫、嫁たちの喜ぶ料理の具材を買いそろえ、大晦日にはいそいそと来宅するみんなそれぞれの顔を思い浮かべながら、料理つくりに精を出す。おじいちゃんは大掃除などの役割に精を出す。
そこに、血:家系の継承とか、歓びとか生きがいを見出すのが親であろう。 しかし、老いと共に、嵐の正月が済むと『あ~しんど』『やれやれ…』と、言いながら…思いとか情感が満ちたり、静かな日々、老いを重ねる生活に戻るのだ。
親の息災を慶び、子や孫の成長を慶びながら、新しき年を寿ぐ時代に合った 正月の慣習を無理なく作ることができれば…
新しき時代に合った正月は・・・
歳を重ねてくると…、老いの身に病とくると、『一族郎党集まる正月の宴もちょっと一工夫』
正月を祝うことができることこそ幸せとばかりに毎年、決まったようにしてきたが、ちょっと待てよ!
歳を重ねてくると…、老いの身に病とくると…、 正月のご馳走作りも、宴の後始末も年々過重となり、老妻の身が心配になりだした。夜更かしも悪い!
正月と言えば…老骨にムチをうって賑わいを楽しみ、孫の顔見たさに頑張るが、はてさて…、そのことが引き金になって病に伏することになれば大変だ!
我が息子二人は車で30分位の地に住まいを構えており、普段の交流は適当にある。無理なく年始の交流をどうするか、息子たちとそれとなく話し合った。
『我々も歳を取った。我家に集い一族郎党祝膳を囲む正月宴を卒業しようではないか?』と提案した。
息子達は同意してくれた。二男(8人家族)は『雪の心配のない紀州に家族旅行をしよう!』との提案により、私どもも1月3日から二男家族と車2台に分乗しての10人揃っての一泊旅行を楽しんだ。
長男(3人家族)は『松の内が明けてから、揃って元気のつくうまいもん食べに行こか?』と提案してくれた。
長男家族とは1月9日(日)に近所の豪華焼肉店へ食事に…、3っの食べ放題コースがあり、最上の『プレミアム食べ放題コースを注文』自分ながらよく食べたものだと感心しきり!
こうして、今年の正月はそれぞれの提案どおりに、今までと異なる新しき正月の過ごし方をすることができた。
息子たちの思いやりで、大晦日、正月はちょっと落ち着いたというか、夫婦二人の静かな我家であった。 妻は『ちょっと物足りないが、こんな正月もありかな!』と、一泊旅行の楽しかった事々、 豪華焼肉店の上げ膳据え膳や、成長した孫達、息子夫婦との弾んだ会話の余韻をいまだにスナップ写真を見ながら楽しんでいるようで安堵した。
人生100年時代の正月の過ごし方も、それぞれ話し合いながら、様々な条件を勘案して変えていくことも、また楽しみな事である。
考えるに、親は良質な健康長寿で息子達に余計な心配をかけない生活変化を常に意識して取り入れていかなければならないんだろう。