「知恩院の除夜の鐘」テレビ放映は父、母、遠い昔を思い起こすに十分だ。
【受け継ぐ家風】 正月の思いでは沢山ある。 大晦日には早や逝って13年過ぎし父(M42年生まれ享年99歳)は新年を迎えるに心あらたまり神棚の清掃、準備万端行い、除夜の鐘が聞こえ来るときには神棚に燈明、一家そろって神棚に向かって拝礼し、除夜の鐘を心静かに聞きながら床に就くのである。
父は寝入った5人の子どもの枕元に「お年玉」を、母は厳しい時代であったろうに5人の枕元に、新しい下着と正月に着る新調の服を揃えて置いてくれていたのを懐かしくもほろ苦くも… 思い出す。
子どもたちが寝静まった後、父は終夜運転の京阪電車に乗り、正月の雑煮を炊く火種(火縄)を知恩院に受けに行くのが大晦日、元旦の習わしであった。
※火縄は火種が消えないように端っこを持ち、くるくる回しながら持ち帰る神事
元旦の朝目を覚ますと、枕元に前夜置いてくれた正月用の晴れ着を着て、父が炊いてくれた雑煮、煮しめを家族そろって祝うのである。正月3ケ日は父が朝の雑煮、朝食を準備するのが我が家の決め事だったようだ。それは14年前に逝った母(T5年生まれ享年90歳)を正月ぐらいはゆっくりさせようというと、父の母をねぎらう気持ちで行う正月の雑煮作りであった。
父は器用であった。知恩院山でいただいてきた火縄の火種で炊いた雑煮は秀逸で私が結婚して新居に移るまでは毎年のこの雑煮と共に祝う祝い膳が楽しみでもあった。ただ、苦手は「頭芋」… 頭にならねば!と、雑煮に入っているがとても食べられなかった。 親の心子知らずか…クワエも苦手だった。
【信仰心?】 私は信仰心は希薄だと思ってはいるが…精一杯努力してその後はどうしようもないことと思っているし、そこの部分には「神」「敬う心」は失ってはいけないと思っている。だからして我が家には神棚とお社、仏壇があり、接する心は『信仰心」であろう。
【私のお参り社寺は…そして、おみくじ】正月参りする神社仏閣がある。結婚前は両親と結婚してからは妻、家族とお参りさせて頂いている。お参りしないと気持ちが済まない…
その神社お寺は・・・ 氏神さん(水渡神社、生家:藤森神社)伏見稲荷大社 石切神社 立木山不動尊(立木さん) の4社寺は年初に必ずお参りしておみくじだ、おみくじは1年に1度だけひくのは伏見稲荷大社のおみくじだ。他社他寺ではおみくじはひかない。 なぜ、伏見稲荷大社のおみくじなのかと言うとそのおみくじの『みさとし(内容)」が吉凶に関係なく文意もいいし語彙が明確であり、生き方の参考になるとほぼ、50数年伏見稲荷大社のおみくじ1本である。
今年はなんと…「大大吉」が・・・・ もうこれ以上ないほどのみくじだ!
今日「七草がゆ」を祝い、次なる15日は小豆粥or善哉で新年を寿ぎ、正月飾りを取り外して一括立木観音さんに納めさせていただくのが我が家のならいだ。
こうして、正月は終わり1月はいく!二月はにげる!三月はさる!と月日の過ぎるにうろたえながらも4月5月と月日を紡いでいくのである。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。今後ともホームページの愛読よろしくお願いいたします。 (yamashin)