❛我が人生の分水嶺❜ =激動の昭和に翻弄されながらも…=
今日の安寧は80歳を目前にした夫婦の偽らぬ願いである。
私たちがふと漏らす言葉に、「今の平穏な日々はあの時、あの人の助言があったからこそ…」 とか 「あの時、あの決断と懸命(賢明)な努力があったからこそ…」と思い起こす転機(分水嶺の出来事)をはっきりと記憶している。
◎【分水嶺】
私には人生の分水嶺と思しき事が幾つかある。
一番の分水嶺というと、やはり…
1971年(昭和46年)夏の出来事とその決断だった。
新婚気分を満喫していたある日、だし抜けに借家の大家さんから『できるだけ早く家をあけ渡してほしい!』との申し出があった。
幸せ感にどっぷりと浸っていた私、5歳の幼子と身重の妻、蓄えもなく住む家が無くなることへの慄きが体を駆け巡った。 『アパート住まいをするか!』 『取り敢えず借家を探そうか!』 と、思案に暮れた。
その時、『苦労してでも、若いうちに持ち家を持たなあかんで~』『一度、アパート住まいをするとなかなか持ち家は実現できないよ』との先輩の言葉を思い出した。
貯えも乏しく、ローンを組むにしても頭金が必要、思い あぐねたが無謀ともいえる❛持ち家❜への決断をした。
◎【持ち家実現へ】
収入に対しての銀行融資も含め工面できる総額は680万円…、当時私の月収は3万数千円、住宅積立金や 電話債券売却金など含めても、手持ち金は80万円程度であったと記憶する。
銀行との融資相談、680万円で購入できる家の物色に取り掛かったのである。
阪急沿線は無理だと決め近鉄沿線に目星をつけて、小倉駅~寺田駅間の住宅開発地をくまなく歩き、手ごろな物件を探し回る一方、低利で融資、ローンを組んでくれると思しき銀行探しに奔走した。
難航したがローンも組めた、思い描いていた土地環境の場所に、このような家を建てる設計図入りの立て看板が立ててあった。その看板を見て「よし、これだ!」と決めた。
その家が現在の住居である。
使い勝手が良く、設計変更した住居の完成を待って新居に入居したのが1973年(昭和48)年4月だった。
5歳と0.8歳の子供を抱えて気の遠くなるようなローン返済30年の年月、巻物のような返済計画書には、元金返済よりも利子の支払いが延々と書かれていた。
無理をしてローンを組んでいるから、当然月々の返済額と夏冬のボーナス期の返済額は無謀ともいえる額であった。専業主婦で子育てに励んでくれた妻は、花一輪いける、竹筒預金で夏の小旅行を楽しむ、心のゆとりを大切にもしてくれたが、ローン返済の重圧は相当なものだった。
◎【所得倍増計画・国土改造計画・オイルショック】
呻吟する私たちに神風ともいえる、所得倍増、国土改造、オイルショックの追い風が吹いてきた。
ローンに苦しむ私たちにとって毎年大幅な昇給、金利の低下は有難かった。
二人の息子たちの成長につれての教育費も何とか捻出できるようになったこと、マイルームとせがむ息子たちの願いには❛ローンの借り換え・ローン組み換え❜で資金を捻出して増築、改築することができた。
唐突にも大家から『家をあけ渡してほしい!』と言われてから46年、長男は51歳、二男は46歳に、気の遠くなるようなローン返済も既に完済、二人の息子も遠くないところに終の棲家を構えている。
今、築46年の古家には妻76歳、私78歳の脳天気な私たち、ふと漏らす言葉 「あの時は大変だったね~」 「結構やないか…、よう思い切ったよ、 あの時は…」と口をついて出る言葉、落ち着いた日々に唯々感謝だ!
あの決断、実行、頑張りがあったからこそ、あれも、これも『結構!結構!』に繋がっているように思える。
やはり「我が人生の分水嶺」は『若いうちに 持ち家を…』と導いてくれた先輩の言葉、共に頑張った妻、父母の励まし、運ともいえる世の流れに乗りきれたことであろう。
※分水嶺の意味
・降った雨水を異なった水系に分ける山稜
・物事がどうなるかの分かれ目(類義語で「転機」や「分岐点」がある)
皆さまにもきっと思い当たる分水嶺が…『きっと』 (完)