『親父の顔に・・・』 鏡に写る我が顔に見入る私!

親父は99歳で逝った。

早や17回忌が来年だ…、わが親を自慢するようで恥ずかしいが、元気で賢こくて、そのうえ何かにつけて器用な父だった。意志の強い親父でもあった。

朝、歯磨き、洗顔の時に、鏡に写る我が顔が、晩年の親父の顔にそっくりではないかと驚く。驚くことはない!

最近、親父の血を色濃く受け継いでいると常々、事々に思い当たることの多いのにも、血は争えぬと思うこの頃である。

顔は勿論、いろんな私の所作も『おやじに似てきたな~』と、ふと思うことがよくある。

DSC_0329ライフワークとしている登校児童見守りも、子らの成長に勇気を…

幼い頃、食卓を囲んでいるとき、銭湯で親父の背を流している時に話してくれた親父の生い立ちや、母との出合、農家の二男坊で農作業に励んだことなど、雄弁な父は幼い私の心をゆすぶるように話してもくれた。その話は今でも記憶にあるが・・・、

やはり、心に強く残っている親父の顔、所作は、親父の晩年、80歳、90歳代の顔であり、表情であり、動作であり、ものの考え方である。

我が歳、81歳、親父の逝った歳までまだまだ遠い、心の奥で当時の親父の思いと日々のたたずまいや行動が、やはり、鏡に写る我が顔に投射している!と、つくづく思う今日この頃だ。

兄妹5人のうちで、親父に最も近い位置で、親父とお袋の老いの様々な葛藤と悲哀に接してきただけに、有言無言の教えを受けて、我が老いの道に反面教師としての姿を見せ続けてくれたと感謝している。

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思い出すのは・・・親父が望んだ二人しての観光、この時季、桜咲く紀三井寺参道を親父と歩いた60年ほど前、新和歌の浦海岸の岩場での記念写真を撮った懐かしい想い出は今も鮮明に浮かぶ。

その紀三井寺も過日、息子たち家族と訪れたが随分と境内の様子が変わっていた。急な石段を登れない高齢者用にと、麓からエレベーターを利用して参拝できるようなっていた。

数年先には麓からモノレールがひかれるということであった。こと左様に全て時代は大きく変わった。

そらそうだ!5人の兄弟、孫が8人、そして、ひ孫が20人と紛れもなく親父おふくろの思いと願いが引き継がれている。きっと頑固さも真面目さも…

鏡に写る我が顔、親父生き写しの我が顔に語る言葉は、『苛立たず、怒らず、穏やかに、穏やかに…』

『老いをしっかりと受けとめて、明るく、活き活きと、加齢を華麗に、生き切りまっせ!』と・・・。

これからも変わりゆく時代に、ゆっくりと寄り添いながら生きていこう。一周遅れにならないように…   親父やお袋の温もりを感じながら今日も、明日も。