今年も植木屋さん・・・ 『やったぞ~』

昭和47年(1972年9月)京都市内から縁あって城陽市に転居という青天霹靂な事態も何とか乗り越えて48年、我が人生の『ふるさと』との思いで今も満足感いっぱいで過ごさせて頂いている。

CIMG4609 (1)右側が我が家階段を上れば…1Fがガレージ

借家住まいから持ち家に…、持ち家が実現するならば思いは「道路から階段を5六段あがりガレージ庭付きを夢描いていた。 探し探して行き当たったのが「狭いながらも、楽しい我が家」である。

今は亡き父が普請中は京都市内から足げなく通ってくれて、大工さんや左官屋サンの仕事ぶりをつぶさに見ながら私の意向を伝えてくれて、ほぼ私が描いていた家が建ちあがった。

その階段左手が2坪余りの庭、松、金木犀、南天など当初から植えていたからして、築後48年の年月が経っている。松などは老木となり、金木犀は枝をはり葉を茂らせている。毎年、秋深まれば植木屋さん… よくやってきたものだ!

CIMG4606道路から5メートルはあう松の木枝に跨る私

CIMG4609大型ナイロン袋6個の木枝

庭木の手入れは当初から私の楽しみであったが、難儀な仕事であった。 今では老木とは言え松の背丈が高く、梯子でに上り枝に縋りつく私、道路から見上げると2階の高さにもなるであろう。通られる人は『危ないですよ』『大丈夫ですか?』と心配げに声掛けをいただく始末。

妻も『大丈夫?』 『落ちたらええ笑者よ!』とのたまう。我…まだまだ大丈夫! と、5~6時間の作業でさっぱりと松、金木犀の散髪を終えることができた! 『おお~! うまくいった!』と、その達成感と80歳に手が届く我が身で長年行ってきた植木屋さんをやり遂げることができたという思は、剪定の良しあしよりは別にして満足』である。『まだまだ、やるぞ!』 この気持ちこそ大切と思う私。いつまでやれるかな高所作業の植木屋さん。