戦中戦後と言うくくりで言えば、私たち夫婦は戦中派であり、終戦の4,5年前にこの世に生を受けた。
まさにどさくさで生きるに厳しい時代というように表現されている。食べるものにこと欠き、着るものはつぎはぎ…今の時代と、とても比較して話せない時代の辛酸を経験した。 昭和の20年代、30年代、40年代、50年代とタケノコの成長に例えるならば、節々の事々を思い浮かばせることができるだろう。
私の友にI・Tという、80歳の年月を、ゆらり、ゆらりと、したたかに生きてきたと思える男、勲ちゃん、まさに、感嘆の友と言えるI・T:勲ちゃんがいる。
今年80歳の春、彼は突然に空家であった隣家を自己流の大工仕事で喫茶店の 開店に漕ぎつけたのである。勿論、飲食店の開業には、保健所や消防署の営業許可が必要で、調理師免許と食品衛生責任者の資格も必要だ。 この免許と資格をも彼は取得していたのである。 そして、愈々開店… ユニークだ!
金・土・日曜日だけ営業と彼は言う『儲けようとは思わん!金曜日が待ち遠しいよ!』と、私も思い、来てくれる人も言ってくれるようなお店でありたい。
なるほど…そうやな~、この歳で喫茶店を開業するなんて、そんな気持やないと辛いよね~。
彼は4歳で父を戦争で亡くした。父の顔を写真でしか知らない、母親に育てられた靖国の遺児だ、私が彼を知ったのは、彼が16歳の時で夜学の高校に通いながら、駅の清掃担当として、いがぐり頭に職帽をかぶり、便所掃除や駅の掃除に励んでいた頃だった。
当時は中学を卒業すると即就職する人が多くあった、彼もそうだが晩学の志し強く、夜学に学びながらの勤務であった。
真面目さが評価されて職階をトントントンと駆け上がり、乗務員に登用された。好事魔多し…彼は不規則な勤務に馴染めずに喘息を患い、その後40年余りの長きにわたり駅勤務一筋、彼流の生き方を通し、したたかに定年を迎えたのである。 したたかと言えば…、
この40年の年月の駅勤務の間に、調理師免許を取り、食品衛生管理士の資格を、そして、身体障碍者2級の認定もちゃっかりと取得していたのである。
そして、駅勤務の時間的な余裕を地域社会で存分に生かし、お墓の総代、京都遺族会の世話をも積極的に行うなど、生まれた地、観月橋、向島の地で周囲から親しまれ、頼られる人となりを築いていたのである。
80歳を寿ぎ彼が思った事は…『誰でも集えて、楽しいおしゃべりの場を…』 『あそこへ行けば・・・心が和む場が…』 と地域の高齢者が思ってくれる繋がる場、喫茶店をとなったのであろう。 その気概たるや秀!
確かに、『正道官衙でストレッチを楽しむ会』『正道官衙ストレッチの快適な運動の場』も、やはりI・Tさんが思ったと同じ動機で2011年7月に発足した。
人生100年時代の80歳は青春だ!戦中戦後の厳しい時代に生を受けた者が『寄る年波には勝てはせぬ!』と思うか、いや、いや、まだまだ、生かされている人生!何かに喜びをみいだし、意欲をもって新しきことに取組もうと思う心こそ『素敵!』で、病魔や、倦怠感や、寂しさ、むなしさを遠ざけるんではなかろうか?
正道官衙ストレッチもそんな場であり続けたいと、気づかせてくれるI・Tさん.勲ちゃんの生きざまだ!