母は両ひざ痛を嘆きながらも90歳天寿を全うした。父は「同輩は皆、死んじゃった!」と、老いを嘆きながらも家庭菜園、趣味の謡曲、薬師寺の信心にと生きる喜びを…、行動力を…最後まで、母の年齢をはるかに超えて99歳5日…天寿を全うした。
老病苦死と考えてみると、母は89歳を寿ぐと急な坂道を転がり落ちるように両膝の不具合で1年余り寝たきり軽度の認知症の発症とともに我が家で眠るように90歳4ケ月で逝った。 ※ 写真をダブルクリックしてください。拡大されます。
↓母もこの時季チュウリップを楽しんでいたな~ ↓3ケ月土の中で耐えた百合は固い土を破り芽をふく
父は97歳の誕生日を迎えても、新しきことへの興味は尽きず春夏秋冬時季に合わせて20坪余りの家庭菜園を楽しみ、母共々日々意欲的な姿勢を崩さなかったが…母が逝去した後の侘しさか?気力が萎え身の衰えを嘆きながら、床に臥せることが多くなった。母が逝って1年5ケ月、6ケ月余りの入院生活中に誤嚥性肺炎を併発しあっけなく99歳と5日あっけなく逝った。100歳を目指していたのに…
写真説明:父は城陽に来ると「素晴らしい豊かな自然!」と、あちこち散策を楽しんだ。 薬師寺の“丸い心、偏らぬ心”と、唱える般若信経と共に山田管長の法話を聞きに出かけた。本堂の落成式典にも父に同行した。↓
両親ともに長寿、‘健康長寿’であった…患い床に臥せる月日も長寿の年月を考えると『あっという間のお迎えであった』 しかし、母が逝って 早、9年、父が鬼籍に入って8年、いまだに母を想い、父を思うのである。 『もう少し…』との悔悟の気持ちは日々の生活の中で、我が行動と共に思い出されるのである。
さて、この長寿で粋として天寿を全うした両親の息子、我(yamashin)74歳5ケ月…の日常生活はいかに?
365日休日といえども“スケジュールが詰まっている!”ことに、妙に満足感というか、充実した日々を過ごしていると錯覚している私、生来の貧乏性のなさせる悲しさか?
74歳5ケ月の私の日々と思いを恥ずかしながら述べて、それが、どのように楽しいのか?“ほんまかいな~”の疑念をもって検証しながら “加齢を華麗に活き活きと・・・”の願いどおりか? 私も考えてみよう! (第1回 完)
第二回予告 ↓スナップ写真の一つ一つに我が思いと、歳を超えた日々の行動が…
息子2人 孫6人と共に… ↓ ご縁を大切に…ベトナムへの旅
↓マレーシアの結婚式、披露宴に…(留学生夫婦) ベトナムメコンデルタ、行く
孫の運動会、団体演技に涙あり 南座観劇にも思いあり…
↓ 球根から見事に咲いたカサブランカ… ↓ 金魚の孵化から成魚に・・・
40歳代からいずれは地域に…との思いが、今では“正道官衙でストレッチヲ楽しむ会”の良きつながりへ…
次回、我が日々の思いを… (予告完)